これから大きな成長を確信しています

東京支店 中野支店長 2009年7月入社

支店長職の面白さに気づき、方向をチェンジ

東京支店 中野支店長 東京支店 中野支店長

ヤマトボックスチャーターへ来る前は、ホテルマンを経て、輸入車のディーラーをしていました。ちょうどリーマンショックがあり、輸入車の売り上げが激減したことから、安定性を求めて職を探し始めました。ヤマトボックスチャーターを選んだのは安定性はもちろんですが、法人向けの営業部署がある点に興味を持ったことも理由でした。
入社して最初に配属された千葉支店での担当は法人営業です。お客様のさまざまなシーンを想定してJITBOXチャーター便の可能性を提示することで、新規のお客様を獲得しました。
ヤマトボックスチャーターに入社した当初は、自分はこの先も営業職でいくものと考えていましたから、支店長になることに興味はありませんでした。それが支店で仕事をするうちに、支店長職の面白さを知ったんです。

まずは運行管理者の国家資格を取得。次に支店長のサポートをしながら管理職の仕事を覚え、本部で研修を受けた後、『役職候補者試験』に合格しました。一方で、市場拡大などを目的に、これまで1店舗しかなかった千葉県に、もうひとつ支店をオープンする提案をしていました。

前職はこんなことしていました

ホテルマン

ホテルのフロントマンとして、国内から海外まで、さまざまなお客様に対応していました。ここで養われた語学力やコミュニケーション能力は、今の仕事にも役立っています。

輸入車のディーラー

輸入車のディーラーになりました。お客様に車の買い替えを提案する仕事です。リーマンショックなどがあり、輸入車の売り上げが減ってしまったので、転職することに。この仕事では提案力が身につきました。

自分の提案で千葉に新支店が開設

東京支店 中野支店長 東京支店 中野支店長

支店長になったのは4年前です。自分の提案が受け入れられ、千葉県で2店目となるヤマトボックスチャーター船橋支店の開設が実現したんです。物流に関しては素人だった私が支店長となり、周りのスタッフに協力してもらいながら、店を成長させていきました。支店長の仕事は労務管理や採用、体制の整備など多岐にわたります。それまでの営業職とはまた違って、チームで協力し合って仕事をするのは初めてで、得るものは大きかったですね。
船橋支店の後は、本社に異動になり、2年ほど営業課長を務めました。現在の東京支店に赴任したのは1年前です。
今、船橋支店では私の部下が、3代目の支店長として頑張っています。社内資料などで船橋支店の業績を見ると誇らしい気持になります。部下が私の仕事を引き継いで店を大きくしてくれたことに対しても、人を育てるやりがいを感じられました。
現在勤務する東京支店は、他支店からお手本にされ、ヤマトボックスチャーターの支店全体をけん引していくような存在。プレッシャーも大きいですがやりがいもあります。

入社から現在まで

  • 千葉県の支店で法人営業を担当

    当時、千葉県で唯一の支店に配属され、提案営業で実績を積みました。

  • 千葉県の第2号店で支店長に

    自分の提案で千葉県に2店舗目が開設。初代の支店長に。

  • 本社で営業課長を経験

    営業課長として、本社に異動。2年間勤務しました。

  • 関東で最も大きい東京支店の長に

    他支店の手本となる支店の支店長に。部下は16人います。

ヤマトグループ内でもっと大きな存在に

今、ヤマトグループ内でのヤマトボックスチャーターの存在は大きくはありません。でもセブンイレブンがイトーヨーカドーの業績を抜いたように、グループ内でトップになる可能性もあると思います。これから市場展開していく過程で、必要なポジションも増えていきますから、人材が必要です。

ヤマトボックスチャーターには、入社してからいくつもの選択肢があります。公休数の面でも仕事量の面でも、給与の面でも、ドライバーを大事にしてくれる会社なので、ずっとドライバーでいるという選択もあります。他にはドライバーから営業職や管理職になり、視野を広げる手もある。さらに経験を積んで、その上の役職者を目指すという選択も可能です。ヤマトボックスチャーターの可能性を信じてあなたも挑戦してみませんか。

支店長インタビュー

佐々木支店長 佐々木支店長

いくつもの『はじめて』が経験できました

イベントサイト支店 佐々木支店長 2009年2月入社
建築会社の営業勤務⇒支店長

佐藤支店長 佐藤支店長

キャリアアップを後押しする社風があります

北東京支店 佐藤支店長 2006年9月入社
飲食店店長⇒運送会社ドライバー⇒支店長